21. 英語辞書とその活用    
    ― 大学生は辞書を活用できているか ―



本稿は、Asahi Weekly編集部が特集「英語辞書を正しく使いこなせ!」(2012[平成24]年4月29日号)を組むに当たって、同編集部から私に対してEメールで寄せられた、英語辞書とその活用状況に関する質問への回答の備忘録である。したがって、編集部からの質問の文体と私が用意した備忘録のそれとでは異なる。同特集にはそのうちの一部が使われたが、残りの部分にも書き残して置いたほうが良いと思われる私の指摘も少なくないので、ここにそれを記録として転写しておく。

>1)学生の英語辞書検索力について(紙、電子両方について)
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辞書の引き方を知らない学習者の問題が深刻化していると聞きます。
 引き方を知らないのは教わっていないからという場合がそのほとんど。昨年の調査(東京6大学の中の2大学での調査;A大2年生1クラス22名、B大131クラス25名、計47名)では、中学・高校を通じて、辞書の引き方を「よく教わった」と答えた大学生は1割にも満たない(6%)。「ある程度教わった」という学生は3割弱(28%)、「ほとんど教わったことがない」学生が4割弱(38.2%)、「全く教わったことがない」学生が3割弱(27.7%)。つまり、7割近くの学生は満足な辞書指導を受けていないのである。東京6大学の内の2大学の学生にしてこれが現実である。ということは、そうした学生たちが、辞書を使っていても、求める情報に的確に辿り着いているかどうか、はなはだ疑問の残るところである。

昔から、「辞書の引き方は知らず知らずの内に、自分で身に付けて行く」と考えている人たちが多いし、今もそうである。だが、英語教師は学習者に辞書を持たせる以上、その使用法はきちんと教える必要がある。文科省の「学習指導要領」(後出)にも辞書指導の必要性が明記されている。

>先生の下に集まってこられる学生さんの辞書の活用度合いはいかがですか?
 過去には様々な学部の学生を教えたこともあるが、現在教えているのは英米語学科の学生だけだから、辞書の活用頻度は高いことを知っている。ただし、活用頻度が高いからと言って、その活用の仕方、情報の正しい採り方を熟知しているかとなると、それは別問題である。

 ちなみに、昨年(2011年)7月末、私の大学の前期末試験の際、99名の受講者(大学24年生)が持ち込んだ英和辞典を調査したところ、その全員が電子辞書を持参しており、したがって紙の辞書を持参した者は皆無であった(2004年の2大学140名の英語専攻学生に関する調査では紙の辞書を持参していたものが1割程度いた)。ただし、その6割近く(59.9%)は、自宅では電子辞書・紙の辞書の両方を使っていると答えている。


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例えば以前の学生と比べて検索力は落ちているのでしょうか?
 電子辞書が一般的になって以降、検索の便利さも伴って、検索力自体は昔よりも上がっていると思う。2004年(平成16年)に電子辞書を持っていた学生121名を観察したのと、昨年、99名の学生を観察した印象とでは、後者の諸君の検索力は前者よりも一段と速かった。これは今の電子辞書のほうが機能的により便利になっていることや、紙の辞書よりも簡便に扱えることなどによるものと思われる。パソコンを一昔前の学生よりもより巧みに使用できることや、最近ではiPhoneiPadなどを日常的に使用していることも、電子辞書の検索力の向上に繋がっているだろう。

>この件について何かデータをご存知ですか?
 質問の「検索力」の意味が曖昧だが、これを「正しい語義や求める用法に辿り着くことのできる力」と解釈するなら、直近の調査の結果が参考になるであろう。つい先日行った調査では、32名の大学生(24年生)のうち、「電子辞書の使い方はどの程度分かっていますか」という質問に対する回答の2選択肢のうち、「全ての機能をよく知って使っている」と答えた者は約44分(43.8%)、「あまり良く分からないが何とか使っている」と答えた者は約56分(56.3%)であった。

 また、「電子辞書を使って英文を理解する場合」という前提で回答を3つ用意したところ、「きちんと文脈を読み、正しい意味に辿り着ける」を答えとした者が約44分(43 .8%)、「適切な訳語が見つけられずに、適当な訳語を選んでしまうことが少なくない」を答えとした者が3 割強(31 .3 %)、「辞書を引いて最初の意味を使うことが多い」を答えとした者が25分(25%)いた。英語を専攻している学生でさえ、これが実状である。英語を専攻しない学部生、英語嫌いの学生の実態となれば、これよりも悪くなることはあっても、良い統計結果が出ることは考えにくい。


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2)学校での英語辞書指導の現状について
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そもそも学校現場(特に中学・高校)では、英語辞書指導はどのように行われてきたのでしょうか?
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伝統的に行われてきたのでしょうか?
 一般論で言えば、中学校では(一部の学校や英語教員を除き)きちんとした辞書指導はほとんど行われていない。その理由としては、(1)教科書の英文に出て来る単語は11義的なものであり、巻末の新出語リストだけで十分用が足りる、(2)中学では、予習よりも復習に時間を掛けることが多く、高校のように単語の意味をきちんと調べる必要もあまりない、(3)辞書指導に掛ける時間的余裕もない、などが挙げられる。学校によっては、特に中学3年生に対して、辞書指導を行う所もあるが、1年間に数回というところが多い。

 高等学校の場合も、上記の(東京6大学の中の2校の)例に見るように、十分な辞書指導を受けたという者はきわめて少ない。「辞書の引き方を教わった」という学生は、「ある程度教わった」という者を含めても3割弱である。辞書指導に熱心な高校では、高校1年生の時に1カ月ほど集中的に辞書の使い方を指導する学校もあるが、そうした集中的訓練をする学校はむしろ例外だと言えるであろう(ただし、そういう学校でも、3年間を通じてきちんと辞書指導を行なってはいないようである)。


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文科省や英語教育業界における英語辞書指導の位置づけは?
 文科省が出している「中学校学習指導要領」には、辞書指導に関しては次のように記されている。

「辞書の使い方に慣れ、活用できるようにすること。 授業での自己表現活動を自発的に行ったり、家庭での教科書から離れた英語学習などに持続的に取り組んだりする上で、辞書を活用できることは必要不可欠である。辞書の使い方に慣れさせるためには、生徒が適宜辞書を繰り返し使用し、調べたい単語を辞書を使って自由に調べるということを普段から行わせる必要がある。なお、辞書指導に関しては、3学年間を通して適宜辞書を活用させることが大切である。」

また「高等学校学習指導要領」には次のようにある。

「辞書の活用の指導を通じ、生涯にわたって、自ら外国語を学び、使おうとする積極的な態度を育てるようにすること。 外国語の学習において、積極的に辞書を活用することは、生徒の主体的な態度を育てる上で大切である。中学校で身に付けた辞書の使い方を基礎として、外国語を理解したり表現したりする上で助けになるような効果的な辞書の使い方を指導することなどによって、生徒が自律的な学習態度や様々な学習方法、さらには、コミュニケーションへの積極的な態度を身に付けられるよう工夫することが大切である。また、生涯にわたって、自ら外国語を学び、使おうとする積極的な態度を育てるために、辞書の活用の指導に加えて、図書館やインターネットなどを利用して広く情報を収集し、活用することができるように指導することも大切である。」

 このように明記されているが、実状と文科省が理想とすることとの間には大きな隔たりがある。


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辞書指導の現状について何か調査・統計結果等をご存知でしょうか?
 インターネットで「中学、英語辞書 指導」、「高等学校 英語 辞書指導」といったキーワードで検索すれば、少なからぬ英語教員(比率的には高校教員が多いようである)が、主に、自分が教える生徒たちを対象に実状調査を行なっていることが分かる。私の個人的調査に関しては、既述したことと、次の質問の意見をその回答とする

>先生のHPで「英語学特講U」での学生さんたちに対するアンケートを拝見しましたが、この他にもデータをお持ちですか?
 (1)東京6大学の内の2大学での辞書使用状況で分かる点が1点。
    (2)直近の調査に関しては、上で紹介した大学生の場合を答えとしたい。

>3)英語辞書指導の重要性を唱えられるようになったきっかけは何ですか?何か象徴的なエピソードはありますか?
 大きな理由A:
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最初に「辞書指導」の必要性を強く感じたのは20年以上も前。あまりにも多くの学生が、文脈を無視して、辞書(当時はまだ紙の辞書)の各語の最初に出て来る意味(語義)を、読んでいる英文に強引に当てはめて訳そうとしているのを見た時に、中学・高等学校で辞書指導がなされていないからだろうと推測した(その推測は的を射ていた)。この悪癖20年以上が経過した今も続いている。その状態は学生たちのほとんど全てが電子辞書を携帯するようになって、むしろ悪化していると言えるだろう。私の調査によれば、英米語学科の学生32名の内、25分(25%)の者は今でも、「
辞書を引いて最初の意味を使うことが多い」と答えている。また適切な訳語が見つけられずに、適当な訳語を選んでしまうことがある」と答えた者が、3割強(31.3%)もいる。

 大きな理由B:
 please=どうぞ」「of course=もちろん」「introduce=紹介する」と丸覚えをしたまま大学生になる者が余りにも多いことを知り、また英語教師にも、「please=どうぞ」「of course=もちろん」「introduce=紹介する」と覚えたままの人が、学生同様、余りにも多い事実を知った時。そうした事実を知った時、辞書をきちんと読めば、そのような覚え方がいかに危険であるかが分かるのにと思ったのが、きっかけ。最近は教師のそれらの語に対する理解はだいぶ深まったと思うが、1昔前までの英語教員の誤解はひどい状態だったことを、私は各地に講演に出向いて、数多くの教員と接した際に実感した。辞書は「引くもの」でもあるが、「読むもの」でもあることを多くの学習者・英語教員に訴えたかった。

  please=どうぞ」

例1)人に何か(飲み物などを)勧めて:「どうぞ」のつもりで Please.と言う。英語ではHere you [we] are./ Here it is./ Here you go.などと言う。

例2)人から何かの許可を求められた時(たとえば、ホテルのロビーなどで、「この新聞、読んでいいですか?」と訊かれたような場合にも、「どうぞ」のつもりで Please.と言う。英語では Sure./ Yes, go ahead. / Certainly.などと言う。

例3)ステージ/演壇に講演者を招く場合に:「どうぞ」のつもりで Please.と言う。英語では、

Ladies and gentlemen, we present Michael Douglas!とか、Would you welcome Professor Michael Douglas?とか、別の言い方をする。各県の英語教育大会で、私を演壇に招く場合に、Professor Yamagishi, please.と言った英語の先生方は数知れない。

例4)ビートルズのヒット曲の1つPlease please me.(お願い、私を喜ばせて:2番目のpleaseは動詞)のような例が英語的用法の1つ。

of course=もちろん」

例1)Can I borrow your dictionary?と訊かれて、Of course.と答える学習者が多いが、この言い方は尊大に響きがち。普通はSure. / Yes, go ahead./ Certainly.などと答える。

例2)「もちろん、君も賛成だよね」をOf course you agree with me [us], too.と言う。この使い方は断定的で失礼な感じがする。I’m sure...で文を始めるほうがよい。

例3)“Do you really love me?”“Of course (I do).”のような使い方が好ましい使い方の1つ。

introduce=紹介する」

例)「私たちの学校を紹介します」をLet me introduce our school.と言う学習者が余りにも多い(英語教師にも少なくない)。Introduceは人を引き合わせて名前を教えることや、司会者がゲストの略歴などを披露する際に用いる。学校を紹介する場合はLet me tell you about our school.のような言い方が普通。


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4)辞書が活用できないことの弊害は何でしょうか?(たくさんあるとは思いますが、最も訴えたい点をいくつか)
 辞書を持っていても、使わなければ「宝の持ち腐れ」。パソコンの機能を知り(構造まで知る必要はないが)、たとえば情報の収集の仕方、Word ExcelPowerPoint等の十分な使い方などをきちんと修得すれば、パソコンの有用さは計り知れない。辞書(電子辞書)も同様で、搭載されている多数の辞書を横断的に利用する方法、例文検索法、ワイルドカードサーチ(連続した数文字文分の綴りが不明な場合の検索法)、ブランクワードサーチ(文字数は分かっているが綴りが不明な場合の検索法)等々の方法を知らなければ、ほとんど無用の長物。

ただし、紙の辞書が活用できないということは、学習者が辞書から受ける大きな恩恵を得られないままに終わるということになる。紙の辞書は「一覧性」(目に入ってくる情報量)という点で一般に流通している電子辞書に勝っており、求める語義や用例の周辺にある情報(たとえば、語法欄・類語解説・日英比較など)に目が行く可能性も高い。それがきっかけで、英単語の世界が多方面に広がって行く可能性もまた高い。電子辞書の場合、目指す語彙が分かれば、他の情報をスクロールしてまで見ようという学生はきわめて少ない。

また、紙の辞書は「情報量目測可能性」、すなわちある単語を調べた場合、その単語にはどの程度の情報が関連しているかが目測できる。それによって、自分が調べている単語の情報保有量や重要性なども推測できる。

さらに、紙の辞書の「メッセージ性」も重要。紙の辞書には色分け・活字サイズの選択・書体の選択・イラスト・図版等、学習者の利便を最大限に考えた様々な工夫が施されている。これは学習者にとっては、記載されている情報が読みやすかったり、覚えやすかったりするし、そうした辞書の工夫には意味がある(例:どの情報に優先性があるかが一目で分かる)という点を知ることにも繋がる。

紙の辞書の「書き込み可能性」も忘れられない。ある単語を引いて、重要だと思う個所に下線を施したり、色付けをしたり、関連情報を書き込んだりすることができ、それが単語の記憶定着に繋がる可能性が高い。

また、「綴り字の定着強固性」も重要である。紙の辞書は目的の語の訳語を見ようとする場合、その語の綴りを見ながら引くか、記憶を頼りに引くことになるが、それゆえに、綴りが視覚を通して記憶に残る可能性が高いものと思われる(電子辞書の場合、綴りに自信がなくても、候補の語を示してくれて便利であるが、それゆえに、視覚を通して、単語を記憶に留めようという意識を利用者に起こさせないかも知れない。

このように、電子辞書であれ、紙の辞書であれ、その利用の仕方を知らなければ、学習している現段階で、しかるべき大きな恩恵を受けないままで終わることになり、将来、自分で改めて英語学習を始めようとした場合にも、有益な情報にアクセスできないままになる恐れが多分にある。


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5)理想的な英語の辞書指導とはどうあるべきでしょうか?
>重要な点は何ですか?どんな頻度で行われるべきでしょうか?
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一般論で言えば、英語学習を初めて1、2年間は辞書なしでも構わない。英語の音声や簡単な日常会話に慣れるのに辞書が必要ということはまずない。しかし、小学生、中学生向きの辞書もすでに何点も出版されているが、そういう辞書に自ら進んでアクセスしようという学習者が多くなることは好ましいことである。英語の音声や日常的表現にひととおり慣れたところで、教師がきちんと辞書の構造や内容を分かりやすく説明し、その利用法を教え、教科書に関連させて実際に使わせてみせることは絶対に必要なことである。この段階では紙の辞書での指導のほうが上記のような多様な理由からみて望ましい。電子辞書は、紙の辞書でその構造や内容をしっかりと理解した上で、使えばその威力の大きさを実感するようになるだろうが、最初から電子辞書を持たせ、しかも辞書指導も行わないというのでは「百害あって一利なし」ということになる。

>6)辞書編纂者として、辞書をどのように使ってほしい/使われるべきとお考えですか?
上の4)で書いたことだが、紙の辞書の「メッセージ性」に注意を払うようにして欲しい。つまり、紙の辞書での色分け・活字サイズの選択・書体の選択・イラスト・図版等は、辞書を作った側から利用者・学習者に送る「メッセージ」である。つまり、「ここを読んで欲しい」「ここが重要ですよ」「この点は絶対に記憶しておいてほしい」などと言っているのだ。電子辞書の場合(もちろん、初級者用のものも市販されているが)、紙の辞書に慣れてからにして欲しい。


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7)辞書の正しい活用における電子辞書の弊害についてどうお考えですか?
 ●即行性、簡便性ゆえに、多くの学生が予習をして来なくなった。和訳・英訳を指名されてから辞書(電子辞書)を引くという学生がほとんど。したがって、学生が求める語句・用例を探すまで待っていなければならず、それだけ授業時間が無駄に消費される。

また、電子辞書のコンテンツの寡占状態は、我が国の英語教育のためには好ましいことではない。最近では、その種類も少しずつ増えては来ているが、それでも大手の電子辞書制作会社のものに搭載されている英和、和英などはその多くが同じ辞書であり、搭載されていないがきわめて優れた、個性豊かな辞書の存在が無視もしくは軽視されている。各辞書には「作る側のメッセージ・特色」がある。その個性とメッセージ性とをよく理解できる英語教員は、自らの良心と経験とに基づいて、自信を持って、紙の辞書を学習者に推薦し、その活用法を学習者に伝えて欲しい。辞書指導は「生涯学習の一環」と捉えるべきである。